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焔の砦

とある変な人の手記。更新頻度は亀より鈍足。
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2011/03/11のこと

日本が傾くほどの大きな地震から丸二年が経過してしまいました。あんなに怖い思いをして、あんなに日常の大切さを思い知ったのに、あの時の記憶が薄れていく自分を少し恐ろしく思います。
もしかすると、生きている内に再び大きな災害に見舞われてしまうかもしれません。日本安全神話など戯言だと思い知った今、私達は未来の為に何をすべきなのか。

人一人の力は粘り強くも、どうしようもなく弱いものだと実感しました。被災された皆様へお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。一刻も早い被災地復興を願ってやみません。


以下の話は、二年前に書き留めておいたもので、当時私が体験した出来事を綴ったものです。
日記は11日~15日までの事を記したもので、途中で終わっています。

その後の話はツイッターのログが残っているのですが、まとめ終わってないので後日投稿します。

画像を挟めながら紹介します。決して気持ちのいいものではありません。残酷な画像はありませんが、中には気分を害すようなものも含まれているかもしれませんので、ご理解とご了承の上、御覧ください。

だらだらと長いです。ごめんなさい。

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03/11  14:46 地震発生
社内の階段を掃除している時に起きた。どすんどすんと大きな音が鳴っていたが、最初は地震だと分からず、男性社員が大勢で走っているのか(?)と思った。地震はあっという間に大きな揺れに変わった。上階のコンクリートが崩れ落ちてくるような不安を感じ、咄嗟に身を屈めた。揺れが少し弱くなってから、慌てて窓を開けながら下の階に降りる。絨毯の廊下を接待室の秘書さんが走っていくのが見えた。一緒についていこうかと思ったが、とにかく外に出ようと階段を降りた。
広い場所に逃げなくては。ビルの裏口から中庭に飛び出したところで一番大きな地震が発生した。あまりの揺れに立っていることが出来なかった。大地が割れるような強烈な地響きだった。あれほど地面を恐ろしく思った事は、後にも先にも無いのではないかと思う。安心して両脚を預けている硬いアスファルトが、大きな振動に耐えかねて避けてしまいそうだった。
建物中の窓という窓がバンバンと何かで叩かれるような音が鳴っていた。ビルの中でガラスのようなものが割れる音、大きなものが倒れる音が外まで聞こえてきた。上から危険なものが降ってくるか、或いは建物の下敷きになってしまう恐怖があったが、私は近くのビワの木の下で頭を伏せたまま、動く事が出来なかった。
地震が収まって広い場所に向かうと、道路脇の芝生に沢山の人が集まっていた。同僚達を見つけてほっとする。誰も青ざめた顔で、片手に作業道具を持ったままだった。
「とりあえず事務所に戻ろう」
私達はひとまず事務所に向かう事にした。途中、私達の休憩室を通り過ぎたが、割れた窓ガラスがサッシごと落ち、雨樋は外れて上から垂れ下がっていた。
この時、急ぎのあまり急な石階段を降りて移動してしまったが、大きな地震があった時は非常に危険なので、使わないようにとの注意が後に入ったりする。

事務所の屋根から細い電線が切れてぶら下がり、ぱちぱちと音を立てていた。事務所の中は空っぽで、事務員さんも誰も居なかった。避難所に向かったようだったので、私達も急いだ。
避難所になっている場所は、敷地内の幾つかの工場の中央にある広場で、少し拓けているが、太い電線に囲われていたり、古びた鉄塔が立っていたりと、あまり安心できるような場所ではなかった。ごーんごーん、と山の方から大きな野太い音が響いていた。何の音かは分からなかったけど、まるで山が鳴っているみたいだった。
一人遅れて避難してきた同僚は、青ざめた顔で「屋根が中に落ちてきてすぐに出られなかった」と言った。古い建物の清掃を担当していた彼女は、目の前で屋根が崩れ落ちるのを目撃したらしい。幸い規模が小さく怪我をした者は居なかったと言う。
二時間半ほど広場で待機していたと思う。度々強い揺れがあった。掌に違和感があって広げると、少し血が出ていた。何処で切ったのかは覚えていない。

03/11  17時頃 停電
やっと帰宅が許可された私達は、数人ずつ固まって会社を後にした。町に出ると、そこらじゅうにガラスや屋根瓦の破片が散乱していた。工場の壁の高い箇所が一部剥がれ落ちていたり、ビルの壁面にヒビが入っている。アスファルトの地面が不自然に盛り上がっている場所がいくつもあった。マンションの入り口は、床のタイルが捲れて裏返っている。倒壊した建物は、今のところ見当たらなかった。
携帯電話は繋がらなかったが、インターネットは辛うじて接続できた。自宅で充電を忘れていた私の携帯は、残りの電池が危なかった。
途中、制服を着たまま帰る接待室の秘書さん達に会った。
「お台場が燃えているらしいですよ」
「本当ですか」
「まだよく分からないみたいでした」
駅前に来ると、大きな車が一台停まり、人だかりができていた。『ケーブルテレビ本部』と書かれている。車の側面にテレビが何個も取り付けてあった。ここで私は初めて震源地が茨城ではないと知り、日本中が大災害に見舞われている事を知った。
駅に来たが、電車は動いていなかった。仕方なく歩いて家まで目指した。この辺りでは、一駅分は徒歩にして一時間から二時間弱ほどかかる。
何処のコンビニも、外まで続くほどの長蛇の列が出来ていた。中は真っ暗だった。レジが使えなくなっていたようで、店員が必死に電卓で会計していた。
「商品をどんどん並べろー」店長らしい男性の声が聞こえた。
停電していた為、自販機はどれも動いてなかった。とりあえず水分を確保したかったので、最寄りの商店によった。酒屋の中はお酒の匂いが充満していた。棚から落ちたらしい焼酎や日本酒の割れた瓶が、床に散乱していた。ご主人が出てきたので「飲み物はありますか」と尋ねると、ぬるくなってしまったものなら、と言われたので、構わないですと言ってお茶のペットボトルを一本売ってもらった。
隣の果物屋は、大きな窓ガラスが全て割れ落ちていて、ご主人が入り口を掃き掃除していた。

日は既に傾き始めていた。寒さと恐怖で震えが止まらなかった。姉からようやく届いたメールは、送信時刻が40分も前のものだった。
「海が、見たことないくらい潮がひいてる。でかい津波が来るぞ。こっちに来るな。街へ行け」
自宅のベランダから海が見えるので、姉が言ってるのはそれだ。国道を歩いて帰っていたのだが、この辺の国道は割と海側に位置する。しかし引き返すにも暗くなり始めていた為、どうしようか迷って結局家を目指した。
家族からのメールが他にも次々に届いた。
「お母さん達は高台に避難しました。みんな、自分の命を守ってください」
「ちょび(飼い猫)が居なくなった」
信号は全て止まっていた。渋滞した車はいつもよりスピードを出しているように思えた。横断歩道はさすがに危険を感じた為、歩道橋を渡ったが、度重なる余震に突然崩れ落ちてしまうような気がして怖かった。道路の所々に濡れている場所があった。液状化現象、という言葉を聞くのは少し後になるが、この時見たのは、貯水タンクなどから漏れた水だったのではないかと思う。

自宅に辿り着いた時には、辺りはとっくに真っ暗になっていた。玄関のドアは開けっ放しで、脚立を置いてストッパー代わりにしてあった。
もう避難したと言っていたから、誰も居ない。とにかく猫を捜そうと家の中に入った。玄関先から荒れ放題だった。携帯の灯りで足元を照らすと様々なものが散乱しているのが見えた。戸棚のガラスは何故か全て開いて中身が飛び出している。悩んだがとりあえずブーツのまま入った。倒れたタンスで入り口が塞がれ、部屋を行き来するのも一苦労だった。私の部屋に入った時、足元でゴリッと硬いものが割れる音がした。私のコレクションしていた鉱物の結晶達だ。ケースが壊れて中身が飛び出したようだった。何を踏んだかすぐに分かったけど、今は一刻も早く家族に会いたかった。
猫は何処にも居ない。物音一つしなかった。びっくりして五階のベランダから飛び降りてしまったのかもしれない。
ちりんと微かな鈴の音がした。うちの猫の首輪には鈴がついている。捲られたままのこたつを覗いたが、中には居なかった。再び探し回って駄目もとでもう一度こたつを覗くと、奥に小さな三角が二個並んで見えた。猫の耳の先端があった。
入れっぱなしになっていた弟の毛布に埋もれるようにして猫は居た。ずっと此処から動かなかったのかもしれない。名前を呼んでもこちらをじっと見つめているだけだった。私はタンスを踏み越えて部屋から猫バスケットを持ってくると、布団の反対に回って猫を取り出した。暴れるかと思ったが、抵抗する事なくすんなり抱えられた。
余震はずっと続いている。冷蔵庫を開けたが食べ物はほとんど残っていなかった。とりあえず何でもいいと思ってヨーグルトと傷みかけた食パンを掴むと、バスケットを抱えて家を出た。
移動中、東京の知人に電話が繋がった。東京も酷かったらしい。落ち着いて、気を付けて、と言われた。

03/11  19時頃 避難
市民体育館の脇の駐車場に、姉と母が車で避難していた。地震があってから、二人で協力して必要なものを運び出し、逃げてきたらしい。車の後ろに布団や上着、インスタントラーメンや飲み物など、必要なものが一通り揃えられていた。
父と弟は無事を確認できたが、暫くは合流できないようだった。
猫を見せたら、良かった!と安堵していた。家具に挟まれて死んでしまったかもしれないと思った、とも言っていた。どうしても見つからなくて、自分たちも避難した後はいつ帰ってこれるか分からないから、生きていればせめて外で生き延びてくれればと思い、家を開けっ放しにしてきたらしい。

三人で叔母の家に避難した。叔母は無事だった。叔父さんはまだ帰ってきていなかった。地震が起きた直後、叔母は一歳になる二人目の子を抱え、とにかく家の外に出たらしい。目が真っ赤に充血していた。
電気がまだ復旧しない。のんちゃん(母の弟)が叔母宅に避難してきた。その後、叔父さん(叔母の旦那さん)が帰ってきた頃には、23時を過ぎていたと思う。会社から日立まで頑張って歩いたが力尽きて、タクシーを見つけて此処まで帰ってきたらしい。叔父の会社の最寄り駅から日立駅までは5、6駅もある。電車での所要時間は30分にもなるので、相当な距離を歩いてきたのが窺えた。
みんなの携帯電話の電池が切れそうだった。使わない分の目覚まし時計などを部屋から集めてきて、携帯充電器で少しずつ充電した。
カセットコンロでインスタントラーメンを作って、懐中電灯で照らしながらみんなで食べた。温かさが身に沁みた。
姉は猫と一緒に車で寝て、私はコタツに潜った。布団を何枚か借りたが、ちっとも温かくならなかった。叔母はいとこを抱っこしたまま、椅子に座っていた。「よく地面に身体をつけて寝れるね」と言われた。夜の間、大きめの余震が来る度に、何度も布団から飛び出した。

03/12 7時頃 
朝を迎えた。今日一番に届いた、ページの無い新聞には、「太平洋沖巨大地震」「町が消えた」と大きく書かれていた。炎に巻かれながら津波に流される被災地の写真が一面に載っていた。あまりの惨状に呆然とした。
庭にバーベキューセットを置いて、火をおこして食事を摂った。叔母宅の水道は幸い細く水が出て、辛うじて断水していなかった。まず古い水から使おうという事で、麦茶でお米を炊いた。麦茶おにぎりはごわごわしていた。のんちゃんはずっとラジオを聞いてた。

03/12 12時頃 ちょび猫脱走
父は叔母宅に寄ったが、会社を本拠地にして同僚達と情報交換を続けていた。家の中を片付けたり必要なものを集めた後、私達も父の会社に向かった。
会社のおじさん達は、料理を作ったり携帯テレビを観ていた。夜の間に土を掘って、簡易トイレを作ったらしい。おじさんが、スーパーの食料品がほとんどないと言っていた。
「今なら何処に行っても酒が買い放題だぞ」と笑っていた。
父のトラックの電気で携帯を充電してもらった。姉と母が買い出しに出掛けている間、私は猫と事務所に居たのだが、目を離した隙に奴は脱走した。原因は私が猫バスケットのカギを掛け忘れた事だった。建物の外まで探し回ったけど、見つからなかった。近所の人に声を掛けられて、猫を捜していたと言ったら、「今は猫どころではないよね」と言われた。

03/12 17時頃
電気ガスは復旧されていない。水道もほとんどの地域がまだ駄目だった。停電によってATMが全滅している。たまたまお金を少し多めに降ろしておいたのがよかった。食事はずっと煮込んだインスタントラーメンを食べている。母と叔母が、お腹がふくれるようにと、水を多めに入れて調理している。ちょびはまだ見つかっていない。あのふわふわした可愛いうちの子には、もう触れないのだろうか。

03/13 8時頃 プロパンガスの復旧
翌日、叔母宅のガスが復旧した。それから各地の皆さんが節電に協力して下さっていること、電気が復旧している地域が出てきた事を聞いた。本当に有難い。早く家に帰ってロストレをやりたい。
ほとんど圏外の状態が続いていて、知人や会社に連絡が取れていない。辛うじてメール送信はできるが、ちゃんと届いているか分からない。受信も出来ているかかどうかよく分からない。
一晩経って猫が見つかった。父の事務所で鳴き声がして捜してみた所、デスクの奥から埃まみれで出てきたそうだ。父が寝る時、一緒にトラックに入れておいたら、動き出して、ずっと鳴いていたらしい。眠れなかったぞと言われた。見つかって良かった。

自宅の片付けを続けた。ベランダの窓ガラスは外れて倒れていた。
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私の机の周りがぐしゃぐしゃだった。手芸用品が地獄絵図。




役所の前などで給水支援が始まっていると聞いた。うちは父が同僚さんのご実家の片付けを手伝いに行って、代わりに湧水をもらってきていたから、給水には行っていない。コンビニは入り口を大きなもので封鎖しているか、或いは営業している所は長蛇の列だったらしい。
私の携帯も、屋外に出ると電波が少し入るようになった。インターネットはまだ繋がらない。ツイッターにメール送信で投稿した呟きは、きちんと反映されているだろうか。片付け中も何度か余震があって、その度にひやりとする。
台所から変な匂いがしていたので、冷蔵庫の中のなまものが駄目になっているようだった。電気のありがたみを実感した。日没になると作業が困難になるので、母と私は急いで叔母の家に戻った。姉と父は自宅に残った。

03/14 0時半頃 一部の地域、電力復旧
三日以内に再び大地震が来る可能性があるとの情報が入って、ひやりとした。
携帯の着信が鳴ってまさかと思ったら、電波が戻っていた。家の外を見ると街灯の明かりが点いている。電気が復旧した。早速ツイッターに接続した。

03/14 7時頃
お腹が空いて目が覚めた。ツイッターのリプライを見たら、沢山のメッセージが届いていた。メールも本当に嬉しかった。自宅に電話をしたがまだ繋がらなかった。向こうは復旧するまでもう少し掛かると思う。ご飯を食べてまた片付けに行く。食べ物はまだ残っている。
いとこ達の服の洗濯を手伝った。風呂釜の水が半分以上溜めてあってよかった。洗濯機は水を沢山使うから使えない。私の自宅はまだライフラインが復旧していない。うちのガスは都市ガスだ。プロパンガスの方が復旧が早かった。昨日、姉と父のもとに置いてきたおにぎりと水が、底を尽きないか心配だ。

03/14 9時頃 ガソリンの不足
ガソリンスタンドがやってない。うちの車の油の残量が少なくなってきたらしい。余震の感覚が短くなっているのが気になる。長く鳴っていた地鳴りが聞こえなくなった。怖い。
少し街の様子を調べて回ろうと思い、おにぎりと飲み物を持って出掛けてみる事にした。途中、会社のおばさんに会った。二時間も歩いて給水に来たらしい。息子二人は手伝ってくれないらしいので、私まで憤慨した。田畑の端で湧水を汲み上げている所があって、来る人に水を分けていた。タンクを持った人が沢山並んでいた。近所の開いてる店は長蛇の列が続いている。閉店12時まで、14時まで、と紙にマーカーで書いてあったが、人の量が多すぎて、時間内に全ての人に回らないだろう事が目に見えて分かった。
『地震が発生しました。津波が来る可能性があるので、高い場所に避難してください』という市の放送が聞こえてきたので、慌てて引き返した。
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この二枚は同じ場所の一本の亀裂。私の前と後ろ。長すぎて写真に収まらなかった。





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塀が崩れたり、地面が陥没している。






13時頃、弟が会社の方に車で送ってもらって、叔母宅に辿り着いた。しばらく寮生活の同僚達と協力して給水にいったり、お菓子を食べて過ごしていたという。
お米が少なくなってきたみたい。叔父さんがピリピリしているのが分かった。私達はずっとお邪魔しているし、家族を第一に考えなくてはいけないから、仕方のない事だと思う。自宅はまだライフラインが復旧していないけど、早く帰りたい。明日はともかく、食料の買出しに行かないといけない。早く並べば何か買えると思う。
猫は叔母の家には入れていない。獣だから仕方がない。昼間はリードをつけて庭を散歩させてみたが、怖がって動こうとしなかった。夜は車内で軟禁した。家族が代わる代わる可愛がりにきていたが、猫もきついと思う。
ツイッターできのこたけのこ戦争の話があった。私はたけのこ派なので、買えるようになったら、たけのこの里を食べたい。

03/15 8時頃 情報の錯綜、放射能の不安
スーパーの開店は8時だ。考える事は誰も同じなのだから、あれだけ早く並んだ方がいいと言ったのに、買出しに行くのが今の時間になってしまった。私が苛立っても仕方のないことだけど。
放射能の雨が降るかもしれない、最初の雨は特に危険だと言われた。今日は雨の匂いがする。枝野さんの疲弊した顔をテレビで観た。みんな、不眠不休で闘っている。私達が弱音を吐いてはいけない。
スーパーなどに行ってみたが、やはり凄い人の列だった。生鮮食品、米、飲料水が何処も品切れだった。カップ麺は少し入荷したらしい。母と祖母がヨーカドーの行列に並んでいる間、私は小さい商店をあたってみた。コンビニに行ってみると、お菓子も全て空っぽだったけど、納豆味のポテチだけが沢山残っていた。不味いのだろうか。パン屋に行ったらやっていて、人が沢山集まっていた。材料が不足している為、パンを焼くにも限りがあって、少ししか用意できないそうだ。後から買いに来た人の分が回らなかったが、先に買った人が分けていた。私はフランスパンを一本売ってもらった。助かりました、と伝えたら、お店の人に涙目でありがとうございます、と言われた。
自販機が動いていた。この辺りは電気が復旧しているようだ。
住民がみんな、放射能の事を危惧している。身体の表面を覆って、マスクも買うべきか、など。
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ヨーカ堂の様子。笑顔で頑張る店員さん達がすごい。一階の広い場所にテーブルや売り物を運び込んで臨時のお店が開かれてる。他の階はまだ行けない。商品が計算しやすい50円、100円単位だった。とても安かった。品数は少ないがキノコ、グレープフルーツなどがあった。主に主食になる食品の制限が大きい。




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空の棚が目立つ。右の画像の奥にお菓子と書いてあるが、置いてあるのは鍋のもと。




03/15 12時頃 電力、都市ガスの復旧
自宅の電気が通っていた。嬉しかった。
仙台にお住いの知人、北茨城の友人の無事が確認された。よかった。13時半頃になって、自宅のガスの復旧が確認された。私と母はお礼のお菓子などを叔母の家に置いてきて、自宅に帰ることにした。

03/15 21時頃 
頭が痒い。とにかくお風呂に入りたくて、薬缶でお湯を沸かしてもらい、洗面器一杯で頭と身体を洗う神業を編み出した。久しぶりに身体を洗えて気持ちよかった。友人に伝授してやろうとメールしたが、遠慮された。


          *******日記はここまでです。読んでくださってありがとうございます。ここまででまだ自宅の水道は復旧されていません。続きの話はまた今度あげます。ではでは。

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